石見銀山の鉱山街、大森町

大森代官所跡

代官所

江戸時代に代官所が置かれ、大森(石見銀山)のみならず石見東部の行政の中心地だった場所。長屋門は代官所の建物です。敷地内の建物は明治期の旧仁摩郡役所で、現在は石見銀山資料館として使われています。

城山神社

城山神社

城山(きがみ)神社は代官所跡のとなり、大森町の端に近い場所にあります。
拝殿の天井に「鳴き竜」が描かれ、拝殿の中央に立ってかしわ手を打つと「ジーン」と響きます。境内にはカエデやイチョウの木があり、10月末から11月上旬にかけて鮮やかに色づきます。

井戸神社

井戸神社

井戸神社は「芋代官」井戸平左衛門を祭っています。
1731年(享保16)に第19代大森代官となった井戸氏は、享保の飢饉に苦しむ銀山領内の人々を救うためサツマイモを導入しました。これにより領民の食糧事情は改善され、井戸氏は後々まで敬われています。

観世音寺

観世音寺

岩山の上に立つ観世音寺は、大森代官所の祈願寺だった寺です。石段を登ると朱塗りの山門で仁王像が出迎えます。境内に立つと大森の町並みとその向こうに仙ノ山を一望できます。幕末には儒学者の佐和華谷が住持した場所でもあります。

豊栄神社

豊栄神社

豊栄(とよさか)神社は16世紀後半に石見銀山を支配した毛利元就を祭る神社です。幕末の第2次長州戦争の際、石見に進軍した長州兵士がここに毛利氏が祭られていることに感激し、境内の整備を行ったという逸話があり、境内の石製品に兵士の名をみることができます。

清水寺

清水寺

銀峰山を山号とする清水(せいすい)寺は、もとは仙ノ山の山頂に近い石銀地区にあり、石見銀山の歴史とともにあった寺です。 江戸初期、山師・安原伝兵衛は清水寺に祈願して釜屋間歩を掘り当て、多量の銀を徳川家康に献上したと伝わります。

清水谷製錬所跡

清水谷製錬所跡

明治時代、銀山の再開発に着手した藤田組(現同和ホールディングス)は、銀を製錬するために製錬清水谷製錬所を建設しました。1895年(明治28)に操業開始したものの、成績が思わしくなく、わずか1年あまりで閉鎖されました。

龍源寺間歩

龍源寺間歩

600個所以上ある採掘跡のうちで唯一、常時公開されている龍源寺間歩は、作業坑道と排水を兼ねた水平坑道です。坑口から約800m奥で石見銀山最大の鉱脈「佐藤鉉」に達し、そこから海面下の深度まで掘り下げられています。公開部分は基本的に作業坑ですが、採掘跡も若干残っています。

山吹城跡

要害山からの遠望

山吹城は、石見銀山の防御を目的に1533年(天文2)に大内義隆が築いた城です。堀の名残が残る山頂からは谷に沿って細く続く大森の町並みを俯瞰できます。また、谷向こうには仙ノ山の石銀の平坦地、町並みの延長方向には三瓶山が遠望できる眺望地です。

永久製錬所跡

永久製錬所跡

永久製錬所は要害山の北の柑子谷に明治時代に建てられた製錬所で、おもに銅を生産しました。現在はからみ(製錬滓)レンガで作られた煙道跡や、選鉱場の石垣などが残っています。近くには永久坑の坑口があり、ここから仙ノ山地下まで坑道が続いています。


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