銀山を支えた港町 温泉津と鞆ヶ浦の風景

大内氏時代の港、鞆ヶ浦

鞆遠景

大内氏が石見銀山を支配した16世紀前半は、大田市仁摩町馬路の鞆ヶ浦(友)が銀の積み出し港として使われました。当初は石見では製錬を行わず、鉱石のまま博多などに運ばれたとされます。

鞆ヶ浦の風景

鞆ヶ浦

鞆ヶ浦は狭く西向きの湾です。この港から運び出された銀は中国、朝鮮を経てさらに世界へと広がって行きました。
ここは、石見銀山の名が世界に広まる最初の一歩を踏み出した地と言ってもよいでしょう。

馬路琴ヶ浜

琴ヶ浜

鞆ヶ浦の東には琴ヶ浜が広がります。この浜は全国屈指の「鳴き砂」の海岸で、乾いた砂の上を歩くと音を奏でます。
琴ヶ浜に面する馬路は、囲碁の棋聖、本因坊道策を輩出した地です。

琴ヶ浜で行われる馬路の盆踊り

琴ヶ浜

馬路地区の盆踊りは琴ヶ浜で盛大に行われます。
広い浜で、三日三晩、早朝まで続く盆踊りは3種の踊りがあり、左官らが全国で腕を振るった馬路地区ならではの特色です。

毛利氏時代の港、沖泊

沖泊

毛利氏が石見銀山を支配した16世紀後半は、温泉津湾の枝湾の沖泊が銀の積み出し港として使われました。
鞆ヶ浦と同様に狭く奥が深い西向きの湾で、波の影響が小さいことと狭く防御しやすいことが銀を取り扱う港として適していたとみられます。

物資の供給基地、温泉津港と温泉津の町

温泉津湾

温泉津はその名の通り、温泉が湧く港(津)です。 ここは石見銀山で消費する物資を供給する港で、沖泊が銀の積み出し港として使われなくなった江戸時代以降も多いに賑わいました。
温泉津の町は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

船をつなぎ止めた臼岩、はなぐり岩

臼岩

温泉津湾と沖泊には、海岸の各所に船を係留するための岩柱が残っています。当地の岩盤は柔らかく削りやすいことから、削り出して係留柱(臼岩)としたり、岩に綱を通す穴をあけたり(はなぐり岩)して船をつなぎ止めました。これらには今も使われているものがあります。

幻の港、古龍

古龍

戦国末に記された石見国図にその名が記され、古くから港として使われたことがうかがわれるものの、詳細がほとんどわかっていない港が古龍です。鞆ヶ浦と沖泊の間にあります。


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